自己紹介

1958年1月1日、栃木県壬生町で農家の三人兄弟の三男として生を受けました。父はすでに無く母は施設で暮らしています。
若いころは何でも 自分で やった気になっていました。しかし年を重ねるにつれ多くの人の助けと、多くの人に迷惑をかけながら歩んできたと実感できるこの頃です。
1991年バブル崩壊と共に先代より社長を受け継ぎましたが、力及ばず2022年8月に法的整理に至りました。振り返れば全て自分の責任であり判断ミスでした。自分に対する厳しさが欠けていました。
その間多くの人からアドバイスや助言をいただきました。
素直に聞ける自分とそうでない自分がいて、素直でない自分がいつも判断ミスをしていたように思います。
今回の事態は何か意味があるのだろうか、意味のあるものにできるのだろうか?そんなことを考えている時にある一文に出会いました。

*重要なのは批評家ではない。勇気ある者の失敗をあげつらう者でもなければ行動した者に「もっとこうすれば良かった」と注文をつける者でもない。称えるべきは現場に身を投じ埃と汗と血にまみれた顔をしている者。勇敢に戦った者。挑戦に失敗や力不足はつきものであることを理解し失敗や挫折を厭わない者。もがきながら事を成し遂げようとする者。素晴らしい情熱と献身を知っている者。高邁な理想に身を投じる者。うまくいったときには偉業を成し遂げた達成感を味わい、うまくいかなかったときでも少なくとも大胆に挑んだ末に敗れる者。こうした者たちが、勝利も敗北も知らない冷淡で臆病な者と同列に扱われることは決してない。

*自分が次の何者かになるためには、今の自分を喜んで捨てる覚悟が必要だ。

 自分の経験を活かし 今悩んでいる人のために 残りの人生をかけたいと考えています。
 そのことが迷惑をかけた多くの人、お世話になった多くの人への恩返しになると考えます。


マイストーリー

1958年(昭和33年1月1日)栃木県壬生町に生を受けました(本当の誕生日は昭和32年12月28日。石原裕次郎、渡哲也と同じ誕生日です。ちょっと自慢です。昔はお産婆さんだったので近い良い日に変えることがよくあったようです)。家は農家でした。生れたころはまだ農業が機械化されておらず、牛に荷車をひかせ家族で農作業に出かけた思い出があります。藁ぶき屋根の家で囲炉裏がありました。家の西を東武宇都宮線が走っており小さな蒸気機関車が煙を上げていたのを覚えています。程なくディーゼルになりあっという間に電化されました。近所の子供たちと街中の保育園に通っていました。数年前に何十年かぶりに行ってみました。記憶の場所と通り一つ違っていました。自分が通っているころは広い講堂のような建物がありそこで昼寝をした思い出があります。その建物はありませんでした。建替えられたようです。門から落ちて頭を強く打ったこと、近所の雄琴神社でみんなと遊んだこと、隣を流れる黒川で細長い寒天のようなカエルのたまごを取ったこと、みんなで大きな絵を描いて近所の警察署に持って行ったこと、学芸会で浦島太郎の役をやったこと。字が読めなかったので、父とお風呂の中でセリフを丸暗記したこと。走馬灯のように思い出がよみがえりました。当時の写真が残っていないか、あらためて保育園を訪ねたいと思います。路線バスで通っていました。途中までがジャリ道で街中への入り口から舗装道路に変わる時の乗り心地の変化の気持ちよさは体に残っています。帰りのバスでみんなで大騒ぎをして運転手さんに大目玉をくらいバスを止められたこともありました。
同じ齢のいとこと線路に置き石をして遊んでいて、電車を止めてしまったことがあります。親に怒られるのが怖くて暗くなるまで帰れませんでした。両親は知っていたと思いますが全く怒られませんでした。暗くなっても帰ってこないのでだいぶ心配していたようです。小学校に入学する前の一番の思い出です。
小学校の入学式の思い出は満開に咲き誇った桜です。桜の大木が2本あり真っ青な空と満開の桜は忘れられません。1本は在学中に台風で倒れてしまいました。小学校1年は、一つの細長い机に男女1人づつ座っていました。隣に座ったクラスメートの女の子が誰だったのか思い出せません。帰りは全員で雑巾がけをして帰りました。木造校舎だったので、冬は乾燥でいくら雑巾がけしてもカラカラで床にバケツで水を撒いて掃除をしました。小学校の6年は長いですよね。なぜか3年生の時の担任の先生が全く思い出せません。小さな小学校で学年1クラスしかなく、6年間同じクラスメイトでした。自然と関係が濃くなりました。小学校時代の一番の思い出は1年の時(1964年)の東京オリンピックです。毎日学校から帰っては見ていました。中でも国立競技場で逆転されたマラソンは脳裏に焼き付いています。メキシコオリンピックを控えての円谷選手の悲劇もありより一層記憶が深まった気がします。小学校6年の1969年アポロ11号の月面着陸も思い出深いです。テレビにくぎ付けで月面からの中継を見ていました。最初うまく中継できなかったこと、画像が反転していたことをよく覚えています。人類が月に降り立ったんだ、すごいな。ただただそんな思いでした。6年の夏休みの課題でS君(現役の小学校の校長で亡くなりました)と二人で理科研究をしました。「植物の気孔と細胞」という研究で薬剤を使って葉の表面を写し取り顕微鏡で観察しました。雑木林に入り多くの植物を集めサンプルと標本を作りました。アケビが奇妙な形をしていたのを良く覚えています。良きクラスメート、良き先生に恵まれた6年間でした。